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東京地方裁判所 昭和35年(レ)651号 判決

控訴人 峰岸酉三

被控訴人 鎌倉薫利

主文

原判決を左のとおり変更する。

控訴人は被控訴人に対し、昭和三三年六月一日から別紙目録記載の家屋を明け渡す日までの期間一ケ月金二、五〇〇円の割合により精算した金額を金九万円から控除した残金の支払と引換に右家屋を明け渡すこと。

被控訴人のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審とも控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は、「原判決を取り消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。

被控訴代理人は、請求の原因として次のとおり述べた。

被控訴人は控訴人に対し、昭和二七年八月被控訴人の所有にかゝる別紙目録記載の家屋を、賃料はーケ月金二、五〇〇円毎月末日払、期間の定めなく賃貸したところ、控訴人は同三三年六月分以降の賃料を支払わないので、被控訴人は控訴人に対して、殆んど毎月延滞賃料の支払を催告したが、控訴人はこれに応じない。そこで、被控訴人は控訴人に対し、同三四年一一月一九日控訴人に到達した内容証明郵便をもつて右賃貸借契約を解除する旨の意思表示をした結果、右賃貸借は同日限り解除された。しかるに、控訴人は依然右家屋に居住してこれを占有しているので、控訴人に対し、本件家屋の明渡しと一ケ月金二、五〇〇円の割合による延滞賃料および右明渡ずみに至るまでの賃料相当の損害金の支払を求めるものである。

控訴代理人は答弁として次のとおり述べた。

被控訴人の請求原因事実中、延滞賃料の支払につき催告がなされたとの点を否認し、契約解除の効果はこれを争うが、その余の事実はいずれも認める。

控訴人は、昭和三四年四月頃訴外坂間良一から、同訴外人が本件家屋を競落したので、爾後の賃料は同訴外人に支払われ度い旨の申出を受けたため、控訴人としては、本件家屋の賃料を被控訴人に支払うべきか、或いは右訴外人に支払うべきか判断し兼ねた結果、賃料の支払を見合わせたものであるから、控訴人には賃料不払について遅滞の責を負うべき事由がないし、仮りにそうでないとしても、被控訴人は延滞賃料の支払につき催告をしないで解除の意思表示をなしたものであるから、いずれにしても被控訴人主張の契約解除は無効である。

また、仮りに右契約解除が有効であつて、控訴人に本件家屋の明渡義務があるとしても、控訴人は被控訴人に対し、本件賃貸借成立当時敷金九万円を差し入れてあり、被控訴人の敷金返還債務と控訴人の家屋明渡債務とは当時履行の関係に立つものであるから、控訴人は本訴において同時履行の抗弁権を主張し、被控訴人から右敷金九万円の支払を受けるまで本件家屋の明渡しを拒否するものである。

被控訴代理人は、控訴人の主張に対する答弁として、次のとおり述べた。

訴外坂間が控訴人に対して本件家屋の賃料を請求したのは、昭和三四年六月初であつて、控訴人は、当時すでに同三三年六月分以降約一ケ年分の賃料を延滞していたのであるし、弁済の相手方が誰であるかは登記簿をみれば判る筈であるから、賃料不払について控訴人に帰責事由がないとの主張は失当である。

また、本件賃貸借成立当時、被控訴人が控訴人から敷金九万円を受領したことは認めるが、敷金は家屋明渡後に返還すべきものであつて、家屋明渡債務と敷金返還債務とは同時履行の関係に立つものではないから、控訴人主張の同時履行の抗弁は理由がない。

証拠として、被控訴代理人は、甲第一号証を提出し、原審証人鎌倉孝一郎の証言ならびに当審における被控訴本人の尋問の結果を援用し、乙号各証の成立を認め、

控訴代理人は、乙第一号証、第二号証の一、二、第三、第四号証を提出し、原審証人坂間良一、同峰岸誠一郎の各証言ならびに当審における控訴本人の尋問の結果を援用し、甲第一号証の成立を認めた。

理由

被控訴人が昭和二七年八月その主張のような約定で本件家屋を控訴人に賃貸したこと、控訴人が同三三年六月分以降の賃料を支払つていないこと、そのため同三四年一一月一九日被控訴人が控訴人に対し、賃貸借契約を解除する旨の意思表示をしたことは、いずれも当事者間に争いがない。

控訴人は右賃料不払について遅滞の責がない旨主張するが、少くとも昭和三四年三月分までの賃料不払については、控訴人の主張自体に徴してもその理由のないこと明らかであるし、原審証人坂間良一および鎌倉孝一郎の各証言ならびに当審における被控訴本人の尋問の結果によれば、訴外坂間良一が本件家屋を競落したとして控訴人に対して家賃の請求に行つたのは昭和三四年六月初め頃と翌七月初め頃の二回であつて、被控訴人は同年七月家賃の請求に行つた際、控訴人が坂間が家賃の請求にきたので被控訴人には支払えないと言つて支払を拒んだので登記所で調査し、坂間が本件家屋を競落して所有権を取得したのは間違いであることを確かめ、その頃控訴人に対してその旨を告知していることが認められる(原審証人峰岸誠一郎および当審における控訴本人の供述のうちこの認定に反する部分は採用できない)ので、控訴人には家賃の不払につき少くとも過失がないとはいえない。したがつて不払につき遅滞の責めがないという控訴人の抗弁はとうてい採用できない。

そこで、催告の有無について判断するに、原審証人鎌倉孝一郎の証言と当審における被控訴本人の尋問の結果に徴すると、被控訴人と控訴人は隣り合つて住んでいて、被控訴人は長男の孝一郎および次男の孝二郎を使つて、昭和三四年七、八月頃まで殆んど毎月のように控訴人に延滞賃料の支払を請求していたことが認められ、さらに同年九月頃被控訴人も自身で控訴人方へ赴いて延滞賃料の支払を請求し、控訴人と口論に及んだ事実が認められ、この認定に反する原審証人峰岸誠一郎の証言ならびに当審における控訴本人の尋問の結果は措信し難く、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

そうすると、被控訴人の前記契約解除の意思表示は、催告後相当期間を経過した後になされたものであること明らかであるから、右意思表示が控訴人に到達した昭和三四年一一月一九日限り本件賃貸借契約は解除されたものといわなければならない。

最後に、控訴人の同時履行の抗弁について判断する。控訴人が被控訴人に対し敷金として金九万円を差し入れたことは当事者間に争いがない。ところで、敷金が授受された場合には、その敷金は、当事者間の特約その他特別の事情のない限り(本件においてはこの点につき何らの主張も立証もない)、賃貸借終了の際における延滞賃料は勿論のこと、賃貸借終了後の損害金その他当該賃貸借に関し明渡までに生じた一切の金銭債務の支払を担保するものであつて、これらの債務は当然に敷金から控除され、なお残金があるときは、その残金は家屋の明渡と引換えに賃借人に支払われるべきものと解するのが相当である。賃貸借終了の際における延滞賃料が敷金から当然に控除さるべきものなることについては従来異論がない。ところで、賃貸借終了後の損害金もその実質においては延滞賃料と何ら択ぶところがないものであるし、賃借人が敷金返還請求権について同時履行の抗弁権を行使した場合には爾後家屋の占有は適法のものとなり、損害金の発生は止み、賃料相当の不当利得返還請求権が生ずるが、この請求権も亦その実質において延滞賃料請求権と同視して差支えないものであるから敷金の担保的効力は当然これらの債務にも及び、これらの債務についても延滞賃料と同様に相殺の意思表示を要せず当然に敷金から控除されるものと解するのが相当である。そして、控除後になお残余があるときは、賃借人保護の見地からしても、公平の原則からみても、当該残金は家屋の明渡と同時履行の関係に立ち、明渡と引換に賃借人に支払われるべきものと解するのが相当であると考える。したがつて、被控訴人は右敷金九万円から一ケ月金二、五〇〇円の割合による昭和三三年六月一日以降同三四年一一月一九日までの延滞賃料同月二〇日以降本訴において控訴人が同時履行の抗弁権を行使した日であること記録上明らかな同三六年三月三日(当審における第二回口頭弁論期日)までの賃料相当の損害金、および同月四日以降控訴人が本件家屋を明け渡す日までの賃料相当の不当利得償還金の合算額を控除した残金の支払と引換でなければ控訴人に対して本件家屋の明渡を求めることはできないものという外はない。したがつて、被控訴人の本訴請求は、右の限度で理由があるが、その余は失当たるを免れない。

よつて、以上と異り被控訴人の本訴請求を全部認容した原判決は不相当であつて、本件控訴は一部理由があるので、その限度において原判決を変更すべきものとし、民事訴訟法第九六条、第九二条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 石井良三 立岡安正 三好清一)

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